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2月1日〜3日 福島県現地調査研究  画像@ 画像A 画像B

         〜社民党自治体議員団福岡による福島県原発調査団に参加〜
   
日程 
2月1日、福岡から総勢17名、朝のJAL便で東京、東北新幹線に乗り継ぎ午後1時過ぎには福島市に着きました。

 1日、到着後、駅前のグリーンパレスで、県内の情勢、福島市の状況、医療現場や教育現場の状況などを福島県社民党県連の加藤幹事長や高柳前福島市議、医療生協福地庸之理事、教職員組合角田政志先生から今も見通しが不明なままの様々な課題についてお話を伺いました。
 その後、福島県立医科大学病院に移動し、健康管理センター長の山下俊一教授、副センター長の安村誠司教授から県民健康調査の状況などの説明を受け作業現場を見学しました。また、除染棟で坂井晃教授から、除染室内で、原発事故当時の状況などを伺いました。

 2日 加藤幹事長、高柳前市議、総支部の石丸さん、佐藤さんのご案内で、福島市から飯舘村を通って南相馬市に移動。桜井市長と市職員さんから震災時とその後の市の様子や対応を伺いました。昼食後、通行許可を受けて警戒区域内へ入り浪江町、双葉町、大熊町、富岡町を通って、楢葉町の仮設住宅に向かいました。福島第一原発が見える十数キロのところを通過したときは線量計が10μシーベルトを超えどんどん上がりました。(福島市内では0.08μシーベルトぐらい、九州だと0.03〜0.05μシーベルトほど)警戒区域の出口はJビレッジで被曝量の検査を受けます。私たちは簡単な装備ですぐ終了しましたが、その間にも、しっかりと装備した原発作業員を乗せたマイクロバスが次々に到着しました。基準を超えていると除染をしてもらわなければいけません。楢葉町では、佐藤さんのお母さんが入居しておられる仮設住宅を訪ねました。楢葉町の仮設は木造でしっかりしている印象を受けました。その後、いわき市まで向かい、かんぽの宿に宿泊しました。かんぽの宿は海辺に近いのですが津波の被害を免れたそうです。部屋からも見晴らしの良いとても良いところで、この地をあの大震災が襲ったということが信じられないように思われました。

 3日 チェルノブイリの調査を続けておられる兵庫医科大学医師 振津かつみ先生がわざわざ来ていただきました。未だに深刻なチェルノブイリの放射能汚染について、また、福島の汚染についての講義を受け、その後、地元の住民の皆さんから震災時の様々なお話を伺い意見交換をしました。そして、午後帰途につきました。

 
視察を終えて
 フクシマで見聞したことの大きさに、今、振り返っても気持ちが押しつぶされそうになります。

○ まず降り立った福島駅、町中の高い放射線量、そこで多くの人々が普通に生活している
○ 計画的避難区域の飯舘村(手厚い子育て支援、男性職員に育休取得を義務づけている村として以前から関心があり、震災後は「までいの力」を通してすばらしい地域づくりを進めていたことを知った)には本当に人影がない
○ 桜井市長、市職員さんが話された震災後の南相馬市の状況「陸の孤島となり食料もガソリンもなかった」(市長がインターネットで世界中に支援を呼びかけられたこと、ある国会議員が餓死者がいたと追求していたことなど・・話を聞きながら、以前見た報道とこのまちが私の中でようやく繋がる)
○ 警戒区域内(原発から20キロ圏内)、双葉町、大熊町、富岡町などのまちの様子
 ・通行許可を得て規制された区域に入り、福島第一原発から数キロ、今でも数十μシーベルトを超えるという大変高い放射能汚染のところまで行ったという現実
 ・道路は各所で亀裂が入り上下に波打って、ところどころ陥没したまま、家屋、車や船なども、未だに、津波で流されつぶれたりひっくり返ったりしたまま放置されている
 ・荒れ果てた町、10頭ほどの牛の群れがいるのを見かけた
○ 各方面の方々から伺った話の重さ
 ・「放射線管理区域」レベルの汚染が福島県の半分以上、更に県外広域に広がっている
         (チェルノブイリの調査を続けておられる兵庫医科大学医師 振津かつみ先生)    
 ・地震後30分ほどして、福島第1原発でデータ管理している知人から放射能が漏れ出したから逃げろと言うメールが来た。東電からは、市へも県へも連絡が無く住民は翌朝まで放っておかれ、翌朝になって着の身着のまま避難させられた。
原発事故は起こると思っていた。配管の歪みやひびなどもペンキを幾重にも塗ってごまかし、審査をパスする
                 (大熊町住民 福島原発で塗装工として働いていた坂上義博さん)
 ・警戒区域内などの学校は臨時移転し、困難な環境で学習している。転出も多い。また緊急時避難準備区域(30キロ圏内)が解除されたことに伴い復帰する学校もある
                                  (福島県教職員組合 角田政志先生)
  
 まだまだ、書き尽くせないほど多く方から話を聞き、多くの現場を見ました。

 福島県を実際に訪問して、改めて、取り返しのつかない事故が起こっていること、そして、多くの困難が、厚く・重たく福島県を中心とする東北地方の方々、日本国民全体を覆っていることを思い知らされました。
 しかし、お世話になった福島県の皆さんは、厳しさの中から、怒りをバネにして立ち上がっておられました。どんなに困難が多くても、故郷は一人ひとりの心の拠り所なんだと今回も強く感じました。

 今回の視察調査を終えて、原発というとてつもない怪物に依存する社会を終えなければならない、これは次世代への私たち世代の責任、という思いが確信になりました。フクシマで見たこと、聞いたこと、感じたことをいろいろな場で伝えていかなければならないと思っています。
福島駅前
南相馬市、警戒区域(20キロ圏内)の入口
  μシーベルト(マイクロシーベルト)について
 線量計の数字は、1時間に体が受ける放射線量を表しています。単位はμ(マイクロ)シーベルト、1μシーベルトというのは1ミリシーベルトの1000分の1です。レントゲン等の医療被曝を除いて、一般公衆の年間限度は1ミリシーベルト、つまり、1000μシーベルトとされています。
 単純に1時間の線量限度を計算すると、1000μシーベルト÷365(日)÷24(時)=約0.114μシーベルトとなります。ちなみに、最近の福岡県の放射線量は文科省のHPによると0.03〜0.04μシーベルト程です。
※ 飯舘村によせて(2011.5 活動報告から)